TAKESHIS' [DVD]

TAKESHIS' [DVD]

自己言及の迷宮。
「お、おもしろかったー!!」という映画ではないが、興味深い映画。
「もう一度みたい」と思わされた。もう一度みたい。新作だからとりあえず今日は返さざるを得ないが。
見終わった直後の思考・感想を忘れないうちにとりあえずアウトプットしておく。



「たけし」が「たけし」に出会う
ビートたけし(或いは北野武)の二役


と宣伝には書いてあるけれど、これは二役ではない。
「売れっ子俳優であるビートたけし」と、「売れない役者志望のコンビニ店員北野」の対比が描かれる中で、観衆は常にそれを描く「映画監督北野武」を意識せざるを得ない。
また、「売れっ子俳優であるビートたけし」と「売れない俳優志望のコンビニ店員北野」と「それを描く映画監督北野武」を意図して描く北野武が存在する。
繰り返すが、TAKESHIS'という複数形のタイトルは、二役を示すのではない。
自己言及をすることにより、無限に俯瞰する視座を手に入れたTAKESHIがまるで三面鏡の中の世界のように増殖し続ける。
その事を、ほんの一瞬「TAKESHIS'という映画を演じていた北野武」を出すことによって気付かせる。また、こんな映画を撮らなくてはならない深い深い孤独感を、「TAKESHIS'という映画を演じていた北野武(これもまた、映画の中である以上演じられているものだ)」の周囲をぐるりとカメラで撮るだけで示す。
しかし、この孤独は、誰の孤独なのか?
「『この映画の作者は孤独である』という描写を含んだ映画」を、作者が意図して撮った場合、それは誰の孤独なのか?


イマイチな作品と評されていた映画のように感じるが、この自己言及パラドックスに突っ込んでいったのは面白い。
夢か現実か解らない(しかも、夢だったとしても、誰の夢か解らない)奇想天外な夢現シーンが続き、それは正直言って白昼夢みたいなものなので、その意味不明さが評価を受けなかったんだろうと思う。(正直途中で眠くなった)
でも、それも含め、北野武の脳内映像を全て映像化したような映画なのだ。
こんな奇想天外な白昼夢妄想に浸った経験は誰にでもあるし、いくつもの顔を持つ彼は既に自分が何者で何を意図しているのか見失わないことに必死なのであろう。
彼は天才である。
それは間違いない。


映像的には、DOLLSの赤とソナチネの青。
ソナチネと同じ場所と思われる沖縄の海のシーンなどがあり、過去作品に言及しているという点に於いても、最後のテロップにでてくる「監督・脚本・編集 北野武」の文字は、立派に登場人物の一部である。


ここまで自己感想で、
以下批評などちらちら読んで感想。


http://movie.nifty.com/cs/catalog/movie_677/catalog_B00596_1.htm
・仮タイトルはフラクタルだった様子。なるほど。うまい。
ビートたけしの日本でのテレビを見てないと理解不可能というのは確かだ。それは、見る前にも少し思った。下の方の記事をたまたま昨日読んだところだったのだが、確かに国内と海外では北野武は死ぬほどイメージが違うと思う。
逆に言うと、国外では正当に評価されているとは言い難いのかも知れない。
テレビで、漫才やら芸人やらの立場を捨てず、テレビタックルの司会を何故かして、この映画を撮るからこそ、天才なのに。



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もう一本映画見た。
こっちは連れられていったから全く情報無し。


死に瀕する母とそれを看取る息子。
宗教画のような美しい風景の中で、母を背負い歩く息子の姿だけが延々と映し出される。会話とかほとんど無い。(母死にかけてるから)
ただ歩いてるシーンがずーっと続くので(その映像はもの凄く美しいんだけど)、ふうっと眠くなる。
ただ、途中から、眠気からか頭がぶっ飛び始め「この映画は、キリスト教映画だ」と思ってもの凄く勝手な解釈を始める。


二人きりの美しい風景の世界は、母が作ったもので、死にかけた母は死にかけた神なのだ。
「ずっと見守っていてくれたよね」と子は言う。
神が子たる人が辛いときに背負うと聖書にはある。でも、神が死に瀕するなら子が背負うのだ。


「あなたが生まれたのは、寒い朝だった。
言われたの。この子は頭は良いけれど、心ない人になると」
「そうだね、僕は理性で物を考えている。そうでないと、心が、破れてしまうから」


この会話に善悪の実の話を見出し、母をくるむ布に聖骸布を見出す。
これ、見ているときはフランスの作品だと思っていたんだけど、ロシアの作品らしいから、これは全部私の妄想だろうなw(ロシアってそこまでキリスト教!って国じゃないよね?)


途中、息子が美しい閉鎖的世界から逃げ出したいと考えているように、出て行く船を追って泣く。
その時に、「ああ、ここは天国の描写だと思っていたけど違う。一番近いのは、そう、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの、『世界の終わり』だ」と感じた。


これは美しい母子の愛だとネットの批評を後から見たら書いてあるけど、全然そうなんだと思えなかった。
愛している?心ない子に育つことを預言され、実際そうなった子が純粋に母を愛しているのか。彼が船を見て泣いたのは、逃げ出したかったからではないのか。
私はこの作品は、美しい『世界の終わり』の中で死んでいく神と、神を背負って歩くことに疲れて逃げ出したいけれど、神を愛しているし、ここは『世界の終わり』だから逃げ出せない子が、神を看取る映画だと思ったのだが。
妄想万歳、ということになるのかw