ストローブ=ユイレの軌跡@アテネ・フランセ 最終日
浅田彰によるダニエル=ユイレ追悼記念講演メモ




ダニエル=ユイレが70歳で死去。追悼は、日本ではユリイカ(今月号)のみ。

ゴダール:「正しいイメージはない。ただ、イメージがあるだけだ」
イメージによるイメージ批判、メディアによるメディア批判→「映画史」のような巨大な万華鏡
割と受け入れられやすいと言える。


それに対して、ストローブ=ユイレは、正しいイメージは存在するし、必要である、とする。一種の唯物論
「正しいイメージ」に拘り抜く。ある種の重しであり、碇である。


ゴダールは、ある時は、アンナ・カリーナと結婚し、メナヘム・ゴーランと同志として協力し、アン=マリー・メルヴィルと逃走する。
ユニットとしては成り立っているが、絶対的ではなく、パッとした共鳴。


ズトローブとユイレは別ち難い。17歳から一緒にいる。
ユイレは、ソルボンヌに一応入るも、30分で退学。映画学校に入ろうとするも、試験を白紙で出す。その後、2人で映画を撮り始める。

この作品は、”間違って”クラシックファンが観たりもしたが、その後の作品はワケが分からないということで、その人達は置いて行かれた。
けれど、この作品に戻ると、彼らの方針がはっきりする。


当時無名だったグスタフ・レオンハルトを主役として撮るかで揉める。(カラヤンなどと言う案もあったが却下)
結局、実現まで10年かかり、その間に、譜を作り、当時の楽器、当時のスタイルで撮ることにする。
これは、彼らの厳密主義をよく表している。昔は、オケは10人くらいだったし、ビブラートも無く、強弱も強or弱、指揮台などもなかった。
禁欲的であり、ミニマリズムとも言える当時のスタイルを厳密に表現する手法は、60年代にはマイノリティだったが、現在では広がっている。(むしろ流行しすぎ)
これらは、ワグナーのような「どうだ、この美しさ」という美の帝国主義、美しい流線型で聴衆を引き込む後期資本主義、半強制的な共同体の全体的感情移入に対する批判であると言える。(だからカラヤンは却下)


この様に、大変厳格であると言えるが、逆に言えば普通の映画は厳格でなさすぎる。
ストローブ=ユイレの作品は、台本がとても細かく(音楽スコアのように)、素人俳優主体で、徹底的な稽古を積み、即興などを許さない(ヌーヴェルヴァーグと異なる)ことにより、最高の素人集団を作り上げている。

  • テクストを精密に朗詠する労働

オペラのオケは、客席から見えない。けれど、演奏会などのDVDを我々は観る。最終結果はCDで良いはずなのに。
これは、音楽の生産という一種の労働を観たいのであり、譜を正しく弾くこと、それだけで感動的であり、作品として成り立つということだ。
これと同様に、テクストを精密に朗詠していることそれ自体で、例えイタリア語が分からなかったとしても、感動的であり、作品として成り立つ。
2人の人間*1が、脚本をリサイタルするだけで感動的である。


ユダヤ人であるフォルティーニが、イスラエルを告発する「フォルティーニ/シナイの犬たち」は、イタリア人の詩人フォルティーニが、思い出のテラスで、自分が書いた詩をイタリア語で朗詠する作品である。
それを読むにおいて、フォルティーニ自身が書いた詩であるにもかかわらず、厳しい朗読稽古を受け、同じ場所で、思い出の花が咲くのを待って、撮影された。
観ていると、これが音楽だと思うときがあるが、その時、ストローブ=ユイレのフィルムを体験していると言える。
自分の文章をずっと読む作家がいるだけなのだが、「正しいイメージ」であり、それだけで、音楽的・文学的である。内容もあるけど、それは別にいい。


これらは、そう奇異ではなくて、ものすごくまっとうなことである。音楽では当たり前なのに、映画だと奇異に映るだけ。
「正しい」テクストの朗詠を、「正しく」撮っていることで、それ自体に価値がある。
バッハの「正しい」演奏を撮ろうとした時から同じである。

  • 2人について

ダニエル=ユイレは、労働としての厳密性を良く表現していた。
『あなたの隠された微笑はどこにあるの?』は、『シチリア!』の製作過程を撮った傑作ドキュメンタリーであるが、その中で、ユイレはてきぱきと労働し、ストローブが後ろで色々文句を言い、ユイレが怒ったりする。ユイレが亡くなったことは、ストローブにとって大きな喪失だと思われる。


ヴェネツィアで銀獅子賞を9月に取ったが、ストローブは、俺はテロリストであってそんなもの貰わない的なことを言って、参加せず。
その翌月ユイレが亡くなった。
アンティゴネーから10年程度で、妥協の一切無い作品を多数製作した。
「こんなに徹底したら、これ以上は無理」という点に最初から立っていた。
スゴイものを見て、茫然自失するのが、正しい見方である。

ゴダールのアワーミュージックは、先に撮られたダニエル=ユイレへのレクイエムに見える。
反暴力的テロリズムを行い、射殺されるオルガは、平和のためのテロリズム/反暴力のための暴力を追求した女性へのオマージュとレクイエムのようだ。


最後にこれを上映。
http://www.youtube.com/watch?v=EGU06JQ92lc

*1:本日上映の「あの彼らの出会い」が2人登場人物だった